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イスラム文化を知る 3
〜アフガン回想〜 |
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米中枢同時テロ後から、中東をはじめとする各国のイスラム社会がクローズアッ プされている。地理的にも大きな広がりを持つイスラムの国々とその文化を理解する ため、ベイエリアのイスラム団体関係者に話を聞いた。最終回の今回は、アフガニス タン出身者にその思い出と現在の心境とを語ってもらった。目まぐるしく移り変わる アフガン情勢の背景に広がる物語を聞く。 |
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サンノゼ在住のエンジニア、デービッド・トキさん(27)は、在米20年。7歳までを故郷のアフガニスタンで過ごした。 トキさんが祖国を出たのは、1982年のこと。79年から旧ソ連軍が侵攻し、民家にも危険が及んでいた。当時の記憶で鮮明に浮かび上がるのは、共産政府の軍隊がトキさんの家にやってきた日のこと。その地域に住む住民とムジャヒディン(共産主義体制に反発したイスラム教徒組織)との関与が疑われ、その日は朝から徹底的な家宅捜索を受けた。 午後には、軍隊が家を囲んだ。トキさんは銃を向けられ、恐怖に駆られて逃げ惑ったという。戦車が民家にミサイルを放ち、その光景は忘れがたい記憶となって焼きついた。 一家はその日、家を捨てる決心をした。先に米国入りしていた父の後を追い、母親、兄弟とともに着の身着のままで国境を超えたという。以来一度も故郷の土を踏んでいない。 「成長した今、みんなが私を祖父に似ていると言う」と、トキさん。しかし、トキさんが祖父の墓のあるアフガンに戻ることはできない。 |
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犠牲になる国民 |
| 異なるタリバン考 メンローパークのソフトウェア会社で働くディーナ・マタザさん(42)は、タリバンに対してあくまで否定的な意見を持つ。 マタザさんは、「彼らは元々パキスタンから渡ってきたり、ソ連との戦争孤児でパキスタンに流れてひたすら反西洋主義を学んだ人たち。私にとって、彼らはアフガン人とはみなし難い。アラブから来たビンラディンもそうだが、彼らが本当にアフガンの人たちの状況を理解できるかどうかは疑問だった」と語る。テレビ放送でタリバンの一員が話すのを聞く時、その言葉にいつも純粋なアフガニスタン人ではないアクセントを認識していたという。 マタザさんがアフガン国民の立場を特に意識するのには理由がある。4年前に亡くなった父のアブドル・ハキム・タビビ氏は、ザヒル・シャー国王政権下で国連代表部参事官や駐ユーゴ大使、65年から66年までは司法相を務めていた人物。67年から3年半の間には、アフガニスタン駐日大使として、家族とともに在日していた。愛知揆一外相(当時)と、日本・アフガニスタン間で交わされた文化協定に調印したこともある。タリバン政権時はスイスに居住していたが、98年に他界。カブールの貧しい家の出だったというタビビ氏は、死ぬまで祖国の人々を案じていたという。 父とともに幼年時代を世界各地で過ごし、79年の旧ソ連軍侵攻以降は米国に渡ったというマタザさんだが、アフガニスタン人であるというアイデンティティーは強い。 「タリバンが女性にした仕打ちを許すことができない」 |